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●山本浩二(広島東洋カープ)
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星一徹のような親父に無理矢理野球をさせられていた頃の憧れはこの人。小学3年の頃、足腰を鍛える為に・・・という何の根拠もない理由からサッカー少年団に入団した。でも、将来の夢は野球選手と、今では信じられないような生活をおくっていた。
野球のセンスはあったかどうかは定かではないが、幼稚園で木製バットで素振りをしていたら怒られたことは確かだ。(プラスチックのバットなど我が家ではバットとは呼ばなかった)ちなみに、今でも山本浩二の直筆サインは私の宝物である。 |
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●ブルーノ・コンティ(イタリア代表、ASローマ)
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初めてみたワールドカップに衝撃を受けた。子供の頃の思い出とは本当に美しい。
あの時右サイドから切り崩すコンティの姿に自然と自分をダブらせていた。ダイヤモンドサッカーでは岡野さんがいつも影のMVPと言っていたくらいの選手だから、その凄さは容易に想像できるだろう。
この頃から完全にサッカー少年へ。 |
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●エルケーヤ・ラルセン(デンマーク代表)
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猛牛エルケーヤの突破とあの赤のヒュンメルのユニフォームはカッコよかった。この当時仲の良かったS君は大のフランスファンとあって、どっちが強いかと言う論争をふたりだけでしていた。(かなりジミな争いだが・・・)
エルケーヤとツートップを組んでいたのがラウドルップ、この頃のデンマークはホント強かった。 |
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●ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン代表、ナポリ)
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中学時代の部活ではいつもGKまでドリブルで抜くプレーをしていた。もちろんあのマラドーナのドルブルシュートを真似して・・・。(でも、よく監督に怒られたっけ)左利きでもないのに無理矢理左足一本でプレーしたり、まあこんな純情な少年が時を同じくしてはじめて女性とお付き合いをすることに・・・。
やっぱり86年ワールドカップはマラドーナの大会、ビデオも擦り切れるほど見たっけ。 |
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●ルート・グーリット(オランダ代表、ACミラン)
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88年欧州選手権決勝戦でのファン・バステンのボレーもスゴイが先制点のグーリットのヘディングシュートのほうが個人的にはインパクトが強かった。中盤から走りこんでのヘディングシュート、世界最高のGKダサエフもなす術がなかった。その姿はまるでサラブレッドのよう、これほどカッコイイ選手は後にも先にも決していないだろう!
あの頃流行ったフリット帽子(?)あれは今でも欲しくて探している。
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●小倉隆史(四日市中央工業)
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左利きのストライカーという点が好みにピッタリきた。「エ〜、高校サッカーなの〜」と他からは変な目でみられていたが、彼のスケールの大きさは当時としては衝撃的だった。高校選手権の直後に行われたバルセロナオリンピックの最終予選に小倉を加えていたならば、日本サッカーの歴史も変わっていたと信じて疑わない。
ちなみにあのアジアの壁加藤久は、これまで対戦した印象に残る5人にペレ、マラドーナ、釜本邦茂、チェ・スンホーとともに小倉の名前を挙げたほどだった。 |